>>01SUPERBODYminiラインナップ

- ABOUT THE DATSUN 240Z -

"プロジェクト・Z" フェアレディZを創った男達
自動車大国アメリカ。このアメリカで最も売れたスポーツカー、フォードでもクライスラーでもGMでもなく、ヨーロッパのクルマでもない。それは『ダッツン・ツーフォーティー・ズィー』である。1969年の登場からもうすぐ40年を迎えようとするこの伝説的スポーツカー、その人気は衰えるどころかリアルタイムを知らない世代からもリスペクトされ、その輝きは時と共に増している。
このクルマのルーツを辿れば、1954年の第一回全日本自動車ショーに展示された日本初のスポーティーコンセプトカー、『ダットサンスポーツDC3』に行き着く。僅か50台の少量生産に終わり商業的には成功したとはいえないクルマであったが、このショーを企画し日本初のスポーツカーを大衆にアピールした男、片山豊の夢はここから始まった。後にZカーの父と呼ばれ米国自動車殿堂入りを果たした人物である。
そしてもう一人、Zカーの誕生のキーパーソンが存在する。当時スポーツカーの開発に懐疑的だった日産の中で、理解も生産計画も無いまま、ひたすら理想のスポーツカーをデザインして続けていた第四デザインスタジオのチーフ、松尾良彦である。彼の想いを実現させてやりたい、そう思った第一設計部部長の原禎一は、アメリカで売れるスポーツカーを欲していたUSA日産社長の片山に松尾を紹介した。この二人が出会う事でついに運命の歯車は回り始めた。片山は遠いアメリカから松尾を励まし続けた。『頑張れ!』と一言だけ書かれ小包の中には、 片山からの贈り物のZ旗が入っていた。Zとはアルファベット最後の文字。そして『もう後が無い』と言う意味でもある。そしてZ旗は日露戦争時代の東郷平八郎連合艦隊で『皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ』の号令と共に掲げられた。開発コードネーム『プロジェクト・Z』、そのZ旗の下に男達が集結する。
設計はバキュームカーやパトカーと言った特装車両を専門とする第三車両設計課が自ら名乗りをあげた。地味ながらも一切の失敗も妥協も許されない厳しい世界で鍛えられた一流の男達だ。信頼性が高く流通量の多い他車からパーツを流用してコストを下げ、憧れのスポーツカーを庶民にも手が届くように工夫しつつ、日本車離れしたこの低いデザインを守る為限界まで努力した。『いつか息子を俺が作ったスポーツカーに乗せてやりたい』そんな夢をZに託し、生産を請け負ったのは日産の子会社である日産車体の宮手、通称『アイディアの宮さん』である。既存車種のバン・トラック化生産を専門とする地味なポジションだったが技術と自信はあった。ウチだってやれば一から自動車を作れる。待望のスポーツカーをなんとしてでもモノにしたい!そんな執念があった。現場叩上げの職人技とアイディアは二度に渡るZのピンチを救った。

こうして完成したZは発売と同時に人気が爆発。日本より4ヶ月遅れて発売されたアメリカでは大量のバックオーダーを抱え、納車まで5ヶ月も待たされる程の爆発的セールスとなり、一部ディーラーではプレミア価格がついた程だった。そして240Zはその後バリエーションを増やし、生産終了までの9年間で54万台を売るというスポーツカーとして世界最高の販売台数を記録した。
Zカーの父、片山豊は今でもZカーのステアリングを握り国内外のZカーフェスに参加してファンと交流を行い、自動車関係のシンポジウムでスピーチを行っている。クルマの未来の為に、本当に個性溢れるクルマとは何か?人間の為のクルマとは何か?Zカーはそれを後世に伝え続ける。

男達の知恵と勇気と情熱が詰まった240Zは世界中から尊敬される真のスポーツカーとして、永遠に語り継がれるだろう。

- ABOUT THE BRE 240Z -

ダッツン240Zは発表と同時に想像を上回る大ヒットを記録。ディーラーは大量のバックオーダーを抱え、生産がまったく追いつかなかった。これはBRE(ブロック・レーシング・エンタープライゼス)のレース活動にも影響を及ぼした。日産USA社長の片山豊は240Zを1970年のSCCAプロダクションCクラスに投入しようとするが、BREにベース車両の240Zを送るのが遅れに遅れ、本来ならば1969年の秋には届いてなければならないはずが、1970年の1月の便にようやく1台だけ紛れ込ませる事が出来た。すでにシーズン開幕同時の投入は不可能と判断したピート・ブロックは70年のシーズン前半戦を新開発のU20エンジンでパワーアップしたSRL311ロードスターで戦いBRE240Zを開発する時間を稼いだ。
一方でBREよりも2ヶ月早く240Zを手に入れていたボブ・シャープは、先にNo.33 BSR(ボブ・シャープ・レーシング)240Zを投入していた。このBSR240Zの速さは圧倒的だったが、240Zの弱点である高速走行時のエンジン異常振動を克服出来ていなかった。BREも同じくエンジン異常振動に直面したが、クランクシャフトを変更する事により問題を克服した。
そしてシーズン後半に投入されたジョン・モートンのNo.46 BRE240Zはライバルを絶望させる程のパワーを見せつけた。幾つかの弱点もあったがジョン・モートンがエースドライバーの腕でカバー。あらゆる回転域で強力な性能を持ったL24エンジンは、コーナーでもストレートでも強かった。最終的にはNo.46 BRE240Zは1970年のチャンピオンを獲得しロードアトランタで行われるチャンピオンシリーズARRC(アメリカン・ロードレース・オブ・チャンピオン)においてもBSR240Zを破り全米チャンピオンに輝いた。
翌71年になるとレース界隈では本格的なZカーブームが到来。BRE240Zを多数のプライベーター240Zとポルシェが追うという構図となったが、さすがに240Zにかけては一日の長があるBREは、プライベーターがやりがちな無謀なエンジンチューンを避け、慎重にバランスを取り、無理の無いスペックでレースに臨んだ。こうして71年のシリーズもBREが制覇し、ARRCも制覇。堂々の二連覇を果たした。当時まだスポーツカーの世界ではまったくの無名だった『ダッツン』と言う会社のクルマが、ファクトリーサポートまで受けたポルシェを一度ならず二度、三度と打ち破ったのだ。これは240Zという優れた素材と、カーレースを知り尽くした男ピート・ブロック、そしてBREが合わさった事によって生まれた快挙であった。
そして片山豊が思い描いた企業理念、安くて丈夫で本当に優れたスポーツカーで、自動車の魅力を一人でも多くの人に知って欲しい…その想いはBRE240Zの熱い走りで全米に届いた。

- Drive a Genetic, Then Decide -

偉大なスポーツカーが、今ジェネティックで蘇る! 好評を博した510ブルーバードに続き、今回もBREの全面協力を得て当時の資料と最新のリサーチと、ピート・ブロックの監修によりボディの形状、グラフィックの色彩、文字フォント、サイズ比率に至るまで、全てをチェック。偉大なるスポーツカー『ダットサン240Z』のシルエットを完全に再現しました。
繊細で高画質なHD(ハイディフィニション)デカールは、BRE240Zのグラフィックだけでなく、部分部分のパーツや内部のメカニックも実車の資料と内部構造の写真に基づき描画されています。後は、貴方が感じてください。
作り上げ、そして操る事で、何故この車が40年近くに渡り愛されているのか?その理由が鮮明なエモーションとなって理解できるはずです。
このクリアボディには塗装及びスポンサーデカールのカラーガイドマニュアルが付属します。使用する塗料やメッキバンパーの表現方法等が詳しく記載されていますのでラジコン初心者の方にも安心です。そして塗装したボディにデカールを貼るだけで簡単かつリアルにBRE240Zを再現することが出来ます。より凝った作り込みを追求する方は、テールランプの電飾化に挑戦してみてください。本製品にはその為の専用ライトカバーが付属します。別売りの電飾ライトユニットスペックIIと組み合わせる事でテールが映える電飾化が可能です。

<適合車種>
ABC HOBBY… Genetic,GOOSE,Gambado ATLAS … E54-M1 BeaT TAMIYA … M-05,M-06
<ダットサン・フェアレディ240Z BREエディション ボディデータ>
全長/Length : 382mm 全幅/Width : 160mm ホイルベール/WheelBase : 208mm
付属品/With : ハイディフィニションデカール、マスキングフィルム、専用電飾ライトカバー、
塗装ガイド

※写真のボディは広告用に塗装されています。実際の製品は未塗装のクリアボディとなります。
※本製品には走行用シャシー、タイヤ、ホイール、マフラー、ナンバープレート、電飾LEDライトが付属しません。
※"NISSAN"並びに日産製品の名称、ロゴ・マーク及びデザインは、日産自動車(株)の商標 及び
/又は知的財産権であり本製品は同社のライセンスにより製造されています。
Exclusively Licensed RC Model by BRE

01スーパーボディミニ ダットサン・フェアレディ240Z BREエディション 品番 66300 価格 4,500円(税別)