今現在も続くZの歴史、全ての原点がここにある。
登場から40年余りが経過した現在の目で見ても、そのスタイリングは古さを微塵も感じさせない。その理由は、Zは登場した時点ですでに究極のスタイリングを纏っていた事に他ならない。
ABCホビーの新世代技術、3DCADのボディ造形とフルCGによるハイディフィニションデカールで、ボディ形状から細かなディテールまでを完全再現!またエンブレムには国内バージョン数種類と輸出バージョンの両方を用意、輸出仕様のみに装備されるリア・サイドリフレクターも収録しました。これによりZ・Z432・240Z・DATSUN240Z(輸出仕様)を再現することが可能です。
そしてボディは未塗装状態のクリアボディ、好みの色で塗装することで貴方好みのZに仕上げる事が出来ます!当時の純正色を再現するも良し、カスタムカラーで現代風に仕上げるも良し、イマジネーションで楽しみが広がります。
フェアレディZの走りを支えるシャーシには、低重心設計で作られた高性能なジェネティックシャーシが使われています。ジェネティックシャーシの定評ある安定感と走りは、初心者から上級者にまでラジコンの楽しさと走りの奥の深さを教えてくれます。
<適合車種>
●ABC HOBBY… Genetic,GOOSE,Gambado ●ATLAS … E54-M1 BeaT ●TAMIYA … M-05,M-06
<ニッサン・フェアレディZ(S30) ボディデータ>
●全長/Length : 382mm ●全幅/Width : 160mm ●ホイルベース/WheelBase : 208mm
●付属品/With : ハイディフィニションデカール、マスキングフィルム、専用電飾ライトカバー
※写真のボディは広告用に塗装されています。実際の製品は未塗装のクリアボディとなります。
※本製品には走行用シャシー、タイヤ、ホイール、フェンダーミラー、マフラー、ナンバープレート、電飾LEDライトが付属しません。
日産 フェアレディZ(S30)1969-1978
フェアレディZ、その前史は戦後まもなく作られた日本初のスポーツカー『ダットサンスポーツDC-3(1952)』にまで遡る。1954年に開かれた第一回全日本自動車ショー(現在の東京モーターショー)に出展されたこのクルマは、庶民にとってマイカーと言う物が夢のまた夢だった当時において大きなインパクトを与えた。このショーを企画したのは、後にZカーの父と呼ばれ米国自動車殿堂入りを果たした男『ミスターK』こと『片山豊』であった。
当時、日産の広報課に在籍していた片山には一つのヴィジョンがあった。『自動車の魅力を大衆に判りやすくアピールするにはスポーツカーしかない。野性的で美麗なデザインのスポーツカーはいつの時代でも大衆の心を掴む。自動車産業の発展と需要拡大の為には大衆への啓蒙活動が必要だ。』まだ広報と言うものが重要視されていなかった時代、誰よりも早くそれを知りそして実践し続けてきた。国産初のスポーツモデル、ラリーへの参戦と優勝、そしてフェアレディZの開発…
当時北米日産社長だった片山は新聞広告でZをこのように宣伝した。
『これは特別なレーシングカーではありません。貴方達の為のスポーツカーです』
広大なアメリカ大陸の過酷なロングドライブに耐える信頼性、充分なトランクスペース、燃費が良く、低価格で…そして誰が見ても美しいと思えるデザイン。これらを満たした真のスポーツカー『フェアレディZ』その具現化には様々な努力と工夫が秘められている。低価格を実現する為にパーツの大部分を他量産車種から流用し、ピーク性能よりもメンテナンス製と耐久性を重視してあえて古い設計だったセドリックのL型エンジンを搭載。この選択が『丈夫で信頼性が高くパーツが安価で入手しやすい』と言うメリットを生み、登場から40年が経過する現在でも比較的状態の良い個体が多い要因の一つになっている。
ポルシェの半額以下と言う低価格で送り出されたZは、発売と同時に想像を超える大ヒットを記録。当初予定していた生産台数の10倍以上ものオーダーを抱えピーク時には納車まで半年待ちと言う異常人気となった。さらにカーレースでの活躍も華々しく、トライアンフやMGやポルシェと言った世界のスポーツカーを相手に連戦連勝を誇り、この活躍がダットサン(北米日産)のブランドイメージを強固な物とした。
S30型フェアレディZは1969年のデビューから1978年のS130型へのフルモデルチェンジまでの間に様々なモデルが追加された。
スカイラインGT-R(KPGC10)のS20エンジンを搭載したZ432と一部のレース関係者とA級ライセンス保持者のみに限定販売されたZ432R(通常のZ432よりもボディが肉薄でガラスも一部がアクリル製で80kgの軽量化が図られている)、北米仕様の2.4リッターを日本でも発売した240Z、そしてGノーズを装備した240ZG、車体を伸ばし後部座席を追加した2by2。9年と言う長期に渡り生産され続け世界総販売台数55万台と言う驚異的な数字を残した。
一時期、その流れが途絶えたフェアレディZは、2002年に日産再生のシンボルとしてカルロス・ゴーンCEOの新体制の下で見事に復活した。そして2008年には最新モデルのZ34が登場。そのデザインは先のZ33よりもさらに初代Zを髣髴とさせるコンパクトでマッシブな物であった。機械的な性能を誇示するデザインではなく人間の感性に訴える野性的なスタイリング、日常の足としての気持ち良さ、鞭を入れればそれに答えるスポーツドライビング、そして手が届きやすい価格…これらZのスピリットは、今も不滅である。