Honda シティ TURBO II (1983~1986)
1970年代初頭に制定されたガス規制の影響で、今まで台頭してきたハイパワー・ハイスピードを重視したスポーツカーは次々と姿を消していってしまった。そしてこの危機を乗り越える為、注目されたのが「ハッチバック」だった。コンパクトかつ経済性が高いハッチバックは、まさにこの時代に望まれていた形のクルマで、世界的に同時進行したスタイルであった。更に、それにスポーツ性を取り入れたスタイルを「ホットハッチ」と呼ぶようになった。エンジンやシャーシがとことん高性能化され、スポーツカーにも負けない実力を持っており、だからと言って日常生活で使用するにも全く申し分がない。これぞ市民のスポーツカーとして、日本のホットハッチ文化は花開いたのであった。
1981年11月、近年守りに入っていたホンダに物足りなさを感じていたファンを驚かせる新車種が登場した。それがホンダ「シティ」である。シティの特徴である「トールボーイ」と呼ばれるスタイル、全高が1470mmと飛び抜けて高く設定されている。このおかげで全長・全幅が小さめに設定されているにも関わらず、窮屈さをあまり感じることがなかった。エンジンは「COMBAX(コンバックス)」と名付けられた軽量でコンパクトな設計のER型4気筒OHCで、ホンダが開発したクリーンエアエンジン「CVCC」も盛り込まれている。最大出力は67PS/5,500rpmと、小型ながらも充分なパワーを発揮した。開発陣の平均年齢が27歳という本当の「若者目線」で作られた新感覚のタウンカーは、たちまちに若者を虜にしていった。
翌年9月には、エンジンにターボチャージャーが装備された「シティTURBO」が登場。ターボには石川島播磨重工(IHI)製の小型タービンを組み合わせ、最高出力が100PS/5,500rpmと大幅にレベルアップ。待ち望まれたターボの登場で更に人気は過熱した。勢いを失わないまま、翌年83年10月には「ブルドッグ」という愛称を持った「シティTURBO II 」が登場。ダイナミック・フェンダーと名が付いた大きなブリスターフェンダーや大型化されたボンネットのパワーバルジ、タイヤもサイズアップされた。その堂々とした迫力のスタイリングはまさに「ブルドッグ」の名にふさわしい面構えになっている。そしてターボIIの最大の特徴、インタークーラー。過給により熱せられた空気をインタークーラーに通すことで冷却し、空気密度を高めシリンダーへの充填効率を向上させている。これにより、無鉛ガソリン車では世界最高の過給圧0.85kg/cm2を記録し、最高出力は110PS/5,500rpmへとパワーアップ。更に、F-1にも搭載されているホンダ独自の「PGM-FI」を採用。走行中の様々な状態を把握し、その情報をもとに最適の空燃比になる燃料量を瞬時に計算。そしてこれを正確かつ最も効率良く、最良のタイミングでエンジンに噴射。高感度なレスポンスと低燃費を実現した。また、エンジン回転数が3,000rpm以下の時にアクセルを全開にすると10秒間だけ過給圧が10%アップする「スクランブルブースト」と呼ばれる機能も装備されていた。圧倒的なパワーを手に入れたターボII はワンメイクレースも開催され、毎回熱い戦いを繰り広げレースファンの人気も集めた。
84年に登場したオープン仕様の「カブリオレ」も国産オープンカーの中ではトップクラスの販売数を記録。CR-Xと共にホンダの80年代前半におけるイメージリーダーを担ったシティは、ホンダを語る上では欠かせない1台となった。